鯨法会は春のくれ、
海にとびうおとれるころ。
はまのお寺が鳴るかねが、
ゆれて水面をわたるとき、
村のりょうしがはおり着て、
はまのお寺へいそぐとき、
おきでくじらの子がひとり、
その鳴るかねをききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしとないてます。
海のおもてを、かねの音は、
海のどこまで、ひびくやら。
(日本‧金子みすず‧《鯨法會》)
【日語中譯】(譯者:新井一二三)
鯨法會辦於春末
飛魚到來的季節
灘上寺廟的鐘聲
搖搖渡水面傳來
漁民都穿上禮服
往寺廟趕路時候
海上有條小鯨魚
聽到傳來的鐘聲
想念已經不在的
父親母親而哭泣
渡過大海的鐘聲
響到大海何處去
【桑言桑語】
鯨法會越熱鬧,越顯得失去父母的小鯨魚的孤單。這首小詩,以大家都很熟悉的親情眷戀,提醒了我們對於自然界生物圈應有的關懷。
【詩情畫意】
(Aubergine Sea, from Ubuntu 11)
【佳句拾遺】
- 在很大的、很大的、大海裡,
有一滴很小的、很小的、小水珠,
還一直想念著
誰也不認識的千屈菜。
它是,從寂寞的千屈菜的花裡,
滴下的那顆露珠。
(溫故知新→)